新・悲しきヒットマン2
1997/ビスタサイズ
(99/2/13 V)
脚本・名取高史、TA−KE
撮影・小松原 茂 照明・石丸隆一
美術・大坂和美 音楽・TORSTEN RASCH
監督・渡辺 武
驚いたことに、正真正銘の怪談映画である。アクション映画と怪談映画の合体というアイディアはありそうでなかなかないのだがなんと渡辺武が先駆者となってしまった。しかも、「新・悲しきヒットマン」シリーズの看板を掲げてはいるが、実はヒットマンなど登場せず、おそらく特殊な素材の物語なので、既製のシリーズに無理矢理押し込んで売ってしまおうと考えたものだろう。きっとオリジナルの脚本には異なったタイトルが表記されているに違いない。
物語は、事件に巻き込まれて偶然大量のヘロインを手にしてしまった女子高生(白石琴子)がシャブ中で廃人寸前の刑事(今井雅之)と出会い、ブツの入ったバックをその家に一時隠すが、それを発見した刑事は時価2億円のヘロインを売りさばく最後の賭にでようとする。ところがその取引と同じ頃、奪われたヘロインを探す狂暴なチンピラ(北村康)が女子高生を人質に交換を迫ってくる。
で、この既知外のチンピラが実は今井雅之の先輩刑事(片桐竜次)を眼前で射殺した犯人で、今井は悔悟の念に駆られたものか、単なるシャブ中の幻覚なのか、片桐の亡霊を目撃することになる。何かを語るわけでなく、恨めしそうに憾みのこもった視線を投げかけるわけでもなく、ただ今井の視界のなかに穏やかな表情のまま佇立し続けるのだ。だから、それが見えてしまう今井にとっては恐怖以外のなにものでもないにせよ、観客にとっての恐怖そのものではない。
それは例えば黒沢清の「蜘蛛の瞳」に現れる亡霊とは異なり、まがまがしい不吉さを伴わないということであり、いわば「月下の恋」の少女の亡霊に近い存在として描かれているのだ。そして、そうした形で生者の前に現れる亡者の姿は、先日渡辺武の近作「フリージア」のラストで目にした光景にそっくりであるし、聞くところによれば、ビデオリリース最新作「チャカ」にすら同様の幽霊が登場するらしい。いつからか、渡辺武までもが怪奇映画作家の仲間入りをしていたのだ。渡辺武の幽霊は中田秀夫や黒沢清の亡霊と異なり、生者に生きるべき方向を示唆するための導き手として現れ、そうした意味合いでは極めて古典的な幽霊像に属しているのだが、考えてみれば今時アクション映画の中に幽霊などという存在(非存在?)を導き入れてまで、人の生き方について問いを発しようとする個性はあまりに正統派すぎて気恥ずかしいほどだ。
そうした気恥ずかしさはラストのダメ押し的に石井隆的なメロを演じさせたシーンに顕著で、端的に言ってこの部分は蛇足だと思うし、この単純な物語に108分もかかってはいけないのだが、これはどう考えてもVシネマ以外では成立不能な企画であり、久しぶりにVシネマというジャンルの存在意義について考えさせられた。
渡辺武とは監督デビュー作でもコンビを組んだ小松原茂のロケ撮影が絶品で、商店街のアーケードの上での今井と街娼(冴島奈緒)の密会を捉えたシーンの密度の高い構図など実に素晴らしいし、女子高生たちの溜まり場の怪しげなパブのロケ撮影や、映画館の奥が文字どおりの地下組織のアジトになっている絶妙なロケ設定には技術スタッフのVシネマ魂が炸裂している。
Vシネマ界期待の星三池崇史が近年濫作気味で、決定打に欠ける憾みがある一方、一歩引いた地点で渡辺武は着実に佳作を積み上げているようだ。この調子で貴重な個性を磨き上げていってほしいものだ。しかし、渡辺武が本当に目指すものは、実はアクション映画ではないのであろう。いっそのこと、情感溢れる幽霊映画にでも真っ正面から取り組んでほしいものだ。実際、そういう資質の持ち主なのではないか?アクションも巧いのだけれど。