尻を撫でまわしつづけた男・痴漢日記

1995/スタンダード

(98/7/4 V)

原作・山本さむ 脚本・加藤正人

撮影・佐藤和人 照明・櫻井雅幸

美術・若松孝市 音楽・Yanagiya Y & Mr.NO.ISE

監督・富岡忠文

 漫画家志望の男・大森嘉之が痴漢常習犯の螢雪次朗や横山あきお、温水洋一らの薫陶によって痴漢の快楽に目覚めてゆく途上、彼に進んで身を委ねる美貌の画学生・大竹一重(デビュー作!)と知り合い恋に落ちるが、彼女にはある秘密があった。

 富岡忠文の演出作としては、極め付きの傑作「湾岸バッドボーイブルー」の到達点には及ばないものの、正攻法のウエルメイドな青春映画に仕上がっている。

 その正攻法ぶりは特にクライマックスの作劇に顕著で、大竹からの別れの電話を受けた大森が彼女の待つ駅のホームへ駆けつけようとするタイムリミットのサスペンスと、お約束通り待ち受ける障害が用意され、型どおりながらメロドラマの陶酔に酔うことができる。この辺り、曽根中生の「赤い教室」(脚本・石井隆)の中盤のクライマックスを想起させはしないだろうか。

 果たして、彼は彼女に逢い、歪んだ愛に決着をつけることができるのか。その回答が、これもおおよそ想像のつくアイディアとはいえ、電車を使ったすれ違いの儀式のなかに用意される。そういえば、小中和哉の「星空の向こうの国」にもそっくりなシーンがあったはずだが、おそらくそれ以前から、何度も繰り返された電車の使用法ではあったに違いない。

 大森嘉之の演技の安定感に、近年は特撮映画付いているものの、痴漢電車には欠かせない螢雪次朗の巧演、そして演技的には未熟ながら、深遠な謎を体現して男の妄想を掻き立てずにおかない古風な美貌を湛えた大竹一重が、すれ違いの切なさを保証する。

 加藤正人の脚本は、仙人と呼ばれる伝説の痴漢老人に「人間のある局面を誇張した者」として変態を定義させ、変態としてしか生きられない難儀な人々の宿業とそれゆえ普通のありふれた恋愛さえ成立しないことの痛みを正確に掴み取っている。

 電車内での痴漢行為によって結ばれた二人の関係を金魚鉢の中の金魚に見立てて、水族館の廊下でまさぐり合う二人の姿を、巨大な水槽の遊泳する魚たちの向こうに捉えた狙いに狙ったカットが用意され、二人が一つの金魚鉢のなかにいる一時の幸福な姿を提示する。しかし、彼らの間に横たわるものが身体と心の両面を蝕む”距離感”の錯誤という病であることが暗示され、ラストシーンで併走する電車の創り出す距離が、二つの金魚鉢に引き離された主人公たちの絶対的な別離を導き出す。

 そして、そうした理念を予想を上回る形で体現してしまったのが、大竹一重の貴重な個性であったことは、重ねて強調しておかなければならないだろう。正統派の美形女優ではないものの、電車の窓際に佇み、ゆっくりと瞼を閉じる表情が、これほどまでに想像力を喚起させる女優も、他に考えられない。

 

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