ほんとにあった怖い話・第二夜

1991/スタンダード/ビデオ

(96/9/29 V)

脚本・小中千昭

撮影・守屋保久 照明・中安和則

音楽・尾形真一郎

監督・鶴田法男

 「夏の体育館」「霊のうごめく家」「真夜中の病棟」の3話オムニバスによるオリジナルビデオ。

 「夏の体育館」は、クライマックスに登場する女の亡霊から人間性を剥奪するための役者の姿勢や歩きかたに関する演技設計や、人間らしさの根元である顔面を影に覆う照明設計等が卓越したもので、後に「女優霊」や「リング」にも登場する同様のシーンの演出にあたって、このシリーズで鶴田法男が発見し、確立した演出技法が中田秀夫によりそのまま踏襲、発展されている。

 とりわけ2作目「霊のうごめく家」は、文句なしの傑作で、「マジに怖い」と一部好事家の間で評判を呼んだ。その禍々しい端的な恐怖は尺数の短さも相まって「女優霊」「リング」の比ではない。

 父親(伴大介)の転勤によって古い中古住宅に引っ越してきた一家、だがその家には得体の知れないもの潜んでいた。”心霊実話再現ビデオ”と銘打たれているとおり、亡霊や怪物が直接的な特殊メイクを伴って乱入することはない。とりわけこのエピソードでは、ただ道ばたに立っているだけ黒づくめの男や、半開きのドアの影からじっと主人公を覗いている黒い影、いるはずのない4人目の家族といった日常性の亀裂とも言える些細で地味な異変が一つ一つ丹念に、積み上げられる。「悪魔の棲む家」にも通じる正攻法のサスペンスの手法が、小中千昭による脚本の筋の良さを証明している。

 解けた靴の紐を結ぶために道端に屈んだ少女が、背後の人影に気づいて道を譲るが、カットが変わると、少女一人の姿しかないという驚愕シーンのカット割りや、食事が終わって自分の部屋に戻ろうとする少女の後ろ姿に母親が声を掛けた後、母親を中心にカメラがパンすると廊下に消えたはずの少女がフレームインして、家の中を彷徨う人智を超えたものの存在に母親が否応なく戦慄するトリッキーな演出に、鶴田法男の特異な才能が結実している。

 遂に懐疑的な父親もその家に取り憑いたものの存在を無視できなくなり、霊媒師が呼ばれ、「この家は、ちょっとすごいです」とプロに呆れられるほどの曰く付きの物件であったことが判明する。しかし、その最中にも、少女は道路の向かいに佇む黒い男のをはっきりと目撃していた。もはや、ここまで来て、嘘も隠しもない黒服の男そのものが、陽光に照らされて実在している。その姿は何の作為もない平明なカットとして、直接的に視線に曝されるのだが、そうした離れ業は、未だ中田秀夫でさえ模倣することは不可能だろう。

 怪異の起こる日時がテロップで表示されるドキュメンタルな演出は幽霊屋敷ものの古典「ヘルハウス」からの引用だろうが、おそらく本家よりも一層効果的ではなかったろうか。

 本格的な美術装置と入念な照明技術がなければ成立しないと思われていた幽霊屋敷ものという怪奇映画の王道ジャンルが、ありふれた日本の平均的な規格の民家というロケセットの中で実現し、しかもフィルムに比べて闇の階調表現にハンデがあるビデオ撮影によって、そのドキュメンタルで無機的な質感を逆手に取ることで、極限的な低予算下で成し遂げられてしまったことが、世の”ホラー者”達、中でもホラー映画を志す実制作者達に与えた衝撃の大きさは想像に余りある。

 この、一連のオリジナルビデオ企画がなければ、そして高橋洋や黒沢清といったホラー映画の目利き達の目に留まることがなければ、今日、「女優霊」「リング」の中田秀夫が中川信夫に連なる怪奇映画作家として日本映画史に登記される事態も起こらなかったはずなのだ。

 そうした意味では、日本映画史に残るべき記念碑的な作品として広く認知されるべきで、ビデオレンタル店の店頭から間引かれたが最後、その存在自体が闇に消え去ってしまう事態だけは、絶対に避けなければならない。

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